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ルル
大阪府 /  女性
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ルル

ご訪問下さいまして ありがとうございます (*^_^*) この繋がりを 後半人生の大切な宝にしたいと思います ★『なにわ夢便り』(大阪の歴史・名所旧跡のご案内ブログ)  ライフワークのつもりで随時更新しています

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2014.03.10 02:37

69年目の3月

太平洋戦争末期の昭和20年、アメリカは、日本の継戦能力を根から絶つ為に一気に大攻撃をかけて来ました。
中でも大きいのは、3月10日未明の東京大空襲、同12日の名古屋大空襲、同13日深夜から14日未明に掛けての大阪大空襲で、日を置かず、東から順に三大都市の中心部を狙いました。

B29による無差別絨毯爆撃

大阪大空襲に付いて申しますと…翌日の大本営は『来襲したB29は約90機』と発表しましたが…実際はその3倍の274機だったそうです。それらのB29が、M69焼夷弾を1機あたり1300個以上もばらまいたのですから、あの、すさまじい限りの恐怖の火の雨となったのです。

(その後大阪への空襲は、終戦前日の8月14日/アジア最大の軍事工場・大阪砲兵工廠への大爆撃まで、計50回を越えました)

M69焼夷弾

焼夷弾のしくみ

『…3月13日の深夜…空襲警報のサイレンが突然暗闇を引き裂き、夜空が急に真昼のように明るくなりました。
ザーッという恐怖の音、あの落下音が頭上に覆いかぶさって来たかと思うと空も真っ赤に染まり四方が炎に包まれた!日頃の防火訓練なんて何の役にも立たない!(中略)
…表通りに逃げると、疎開空き地にも道路にも仰山の人がいて右往左往してはる。あの御堂筋も火と風が渦巻く炎の大河となっている!!(中略)…どっちに逃げても火の海や…どうしてええのやら分からへん…。(後略)』

焦土となった御堂筋周辺

ご体験者が減っていき年々風化していく戦争の実態を、
同世代~次世代へと継承して行く使命感を感じております。
今回は体験された方々から聞き集めた実話を自分なりに纏め、銃後の守りの庶民の立場で、大空襲の中を娘の手をひいて逃げ回る母親として語ります。

あなたの街の空襲や戦中戦後は如何だったでしょうか?

******************************************

≪余談ですが・・・≫
この他に、3月15日(土)谷町にあります大正時代の町屋で芥川龍之介『蜘蛛の糸』を(タイトル「ワインと朗読の会」)、
3月30日(日)靭公園前のカフェ&ダイニングで織田作之助の『木の都』を(「オダサク倶楽部主催」)、朗読いたします。
(どれも伝えたい一心で赤字の手弁当で頑張っております)

覗いてやろう、と思われるお方は、メッセージかコメント欄でお知らせくださいましたら其々の詳細を連絡させて頂きます。

先日は天王寺美術館にて、やすこさま(長年のブログ友・現在ご休止中)の絵の前で朗読いたしました。

お越し下さいましたブログのお友達と、ミニオフ会の嬉しいひと時を持たせて頂きました♪
日記カテゴリ その他
コメント数(116)
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コメント一覧
★Miruさま
こんばんは~
こちらのお返事も大幅に遅れてすみませんm(__)m

そんな事を仰って下さるのは貴方だけかも?
お蔭様で少し元気が出ました^^
いつもお気遣い頂きありがとうございます。
2015.03.12 00:12 ルルさん | 返信

> ルルさん
>滅多に来れない場所に席を置いていていいのかなぁ?と気を遣いますぅ…(-_-;)

こんにちは

なにをおっしゃっているのかしら^^
あなたのような興味あるお話を聞かせてくれる貴重な方は、そうはいらっしゃいませんよ。
お忙しいでしょうが、たまにお顔を見せてくださるだけでもOK、席は永久に置いておきましょう^^
2015.02.13 15:29 Miruさん | 返信

Miruさま こんばんは~

足跡、ありがとうございます^^
映像も台本も制作も自分達で作る舞台公演がありまして(どれも自前のボランティアですが)、ずっとそれに掛かっていました。遅くなってすみません!m(__)m
最近超多忙で…滅多に来れない場所に席を置いていていいのかなぁ?と気を遣いますぅ…(-_-;)
2015.02.12 23:00 ルルさん | 返信

足跡ペタッθ┗=d(゚∀゚d)
         ε=ε=ε=ε=┏(; ̄▽ ̄)┛
2015.02.07 08:12 Miruさん | 返信

★ちゃんさま
こんばんは~ ご再訪ありがとうございます

そうなのですよ。
もう1ヶ月が経ちましたので、そろそろ次のブログを…と思っているのですが…纏まった時間が取れずに遅れています。
今週中に何とかアップ出来ればいいな、と思っています。
いつも気に掛けて下さり、感謝です。
2014.04.20 14:44 ルルさん | 返信

★サト夢(ム)さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

いえいえ、本に出来るなんてとんでもありませんわ^^

神戸も空襲が酷かったようですね。5つ位の時でも覚えていらっしゃるくらい鮮烈なご記憶だったのですね…。

>無差別に一般人を焼夷弾で焼き殺す行為や、人体実験か
>原爆を落として何百万人の人間を殺した行為は許されない。
>終戦後のシベリア抑留等もそうだが、今の時代なら大問題。

本当にその通りだと思います。
仰せのように…過去の事をお互いに振り返り、未来に生かしていくことが大事ですね。隣国にも日本の潔さを分かって頂きたいですよね。
2014.04.20 14:37 ルルさん | 返信

(ノ・ω・)ノルルさん
今晩は。
4月も半ばを過ぎ、4月分UPされたのを忘れていてはいけないと、「そ~と」のぞかせて頂きました。
ご新規さんはじめ、多くの皆様のアクセスに拍手。
2014.04.20 12:37 ちゃんさん | 返信

ルルさんいつもすごい書き込みですね。これで1つの本が発行出来る程ですね。

戦後70年に近い中で歴史認識等で外交の切り札に、又賠償まで持ち出す近隣国の事を考えると、日本人はなんと潔良い人種か。数えの5つ位は神戸に居て焼夷弾が落ちてくる様に記憶がある。
無差別に一般人を焼夷弾で焼き殺す行為や、人体実験か原爆を落として何百万人の人間を殺した行為は許されない。終戦後のシベリア抑留等もそうだが、今の時代なら大問題。

何時までも自国のスタンスでのみ主張して、過去の事をお互いに振り返り、未来に生かしていくことこそ進歩があるはず。
2014.04.20 00:17 サト夢(ム)さん | 返信

★hassanさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

片隅で小さな活動しかしていない私ですが…こうしてコメントを下さるお気持ちが嬉しいです。

はい、3月の空襲は「ごちそうさん」でも出てきましたね。
お母様は原爆投下の時をご存知なのですか。
一昨年長崎にお邪魔しまして、爆心地や城山小学校の嘉代子桜や浦上天主堂他色々な場所を勉強して参りました。
そのご縁で来月、大阪の中学校の平和教育での長崎旅行の時に、「長崎さるく」の友人が案内してくれる事になりました。

仰せのように…戦争は人間が持つ極限のむごさが出現する残虐な場ですから、絶対にしてはいけませんよね。その為にも若い人々に戦争体験を語り続け、少しでも関心を持って頂きたいと思っています。

今の北朝鮮脱北者で起こっていることも同感です。
前にお書きになった『ハンナ・アーレント』のように…どこにでもいる、無思想で無思慮なだけの凡人が残酷になる事態は恐ろしいと思います。人間とは素晴らしい物を持っている代わりに、そういうむごさも持っているのですものね…。
2014.04.13 13:37 ルルさん | 返信

★リュウジュンさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

仰せのように…私達は戦後生まれですが、親からは悲惨な状況を聞いてましたよね。でも今の若い人達はそういう機会が少ないでしょうね。

>ルルさんの日々の活動、頭が下がるばかりです、
>頑張って下さい!!

力強いお言葉、ありがとうございます!
小さな事しか出来ませんが…風化させないよう
これからも語り継いでいきたいと思います。
2014.04.13 13:06 ルルさん | 返信

こんにちは。ルルさん
コメント頂いているのに、お礼をと思ってルルさんのブログ訪問しましたら、なんと大勢の方がコメントされているじゃありませんか、驚きと共にルルさんのご活躍がうらやましい限りです。
3月10日の空襲は、朝の連ドラの「ごちそうさん」でも出てきました。私は、戦後間もない長崎県生まれで、母から聞いた話ですが、原爆が落とされた時に長崎市内の方向から真っ黒な雲が流れてきて雨が降ってきたそうです。浦上天主堂には今もその傷跡が残っています。戦争は人間が持つ極限のむごさが出現する残虐な場です。普通の状態では絶対に出来ないことを平気でする場です。絶対にしてはいけませんが、大衆の無関心はこれを許してしまいます。残念です。
今の北朝鮮脱北者で起こっていることも残酷です。中国の朝鮮族がお金をもらって脱北に手をかし、脱北が出来たら今度は、送り返すと脅し人身売買や売春まで強要しお金を稼ぐ、北朝鮮の人は戦後何十年たった今も戦争の中にいるようなものです。独裁がもたらす悲劇です。人間のむごさがよくわかります。
2014.04.12 08:31 hassanさん | 返信

こんにちは!
戦後生まれですが、親からは悲惨な状況を良く聞いてましたよ。
最近は戦争体験者も少なくなり、だんだんと風化して行くのかな、、、

ルルさんの日々の活動、頭が下がるばかりです、頑張って下さい!!
2014.04.12 08:15 リュウジュンさん | 返信

★マリエさま
こんばんは~ いつもありがとうございます
それに日が経ってもお越し下さり嬉しく思います^^

やはり東京大空襲があまりに大きいですから、
関東の方々にはそのれ以外はあまり知られていないですよね。
3大都市は勿論、地方都市にもB29の空襲がありましたので、
それらを入れると夥しい数の被災でしょうね。

>核廃絶に持って行きたいですが、
>保有国が手放すのに何年かかるのでしょう。
>せめて抑止力、にとどまらねばなりますまいと。

仰せの通りですね。
世界から核が無くなれば抑止力も必要ありませんのに、
そういう風には中々なりませんよね…難しい事ですね。
2014.03.28 12:37 ルルさん | 返信

関東に住んでいますと、東京大空襲とばかり呼ばれ、
親から語り継がれていますが、
今更ながら3大都市圏でむごい仕打ちが行われたのですね。
現代は、核を持ってはいるが使えない。
まさか核を使った戦争は出来ない、と信じていますが。
核廃絶に持って行きたいですが、
保有国が手放すのに何年かかるのでしょう。
せめて抑止力、にとどまらねばなりますまいと。
2014.03.27 21:47 | 返信

★まろりんそなさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>その母は1カ月ほど前に他界しました。
>戦争体験者がとても少なくなりました。
>私は両親などから生々しい戦争体験談を沢山聞くことが
>できました。あの戦争を風化させてはならないと思います。
>2度と繰り返さないために。

その通りですね、同感です。
私達は戦争を知らずに育った世代ですが、親たちから生の声を聞く事が出来ましたものね。
でもこれからの子供達は、両親からも祖父母からも生の声を聞く事が出来ませんね…。
仰せのように、戦争を風化させない為にも、私達世代が橋渡しをしないといけないと思っています。
2014.03.22 16:42 ルルさん | 返信

こんばんは☆

私は戦争を知らずに育った戦後生れです。
3月10日未明の東京大空襲の事は、高校生の時テレビ番組で1度だけ見ました。たった1度だけなのに酷い衝撃を受けたのをはっきり覚えています。あの日、埼玉県に暮らしていた母は東京方面の空が赤く見え、翌日の朝焼け焦げた書類が庭に落ちていたと話していました。
その母は1カ月ほど前に他界しました。戦争体験者がとても少なくなりました。私は両親などから生々しい戦争体験談を沢山聞くことができました。あの戦争を風化させてはならないと思います。2度と繰り返さないために。
2014.03.22 13:47 まろりんそなさん | 返信

★山野泉歩さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

戦争体験をされていなくても、防空壕の記憶がおありなのですね。現代でも、古いお家で防空壕が残っているのを見た事があります。

>勝てば官軍と言いますが戦争の愚かさを知って
>不戦を誓い戦後見事に復興した国でもあります。
>争いは人間の醜さの極致。
>暴力や武力で脅し続けることの愚かさを言い続けなければ
>あの戦争で無くなった命は何のためだったのでしょうか。

本当にそうですよね。
仰せのように、唯一の被爆国であり、その教訓で平和憲法を保った自由国家になったのですから、これからもそういう事を考え続けたいですね。

>その国が戦争にも匹敵する愚かなことをしてしまいました。
>人間の知力では計り知れない自然の猛威による被爆・・・広島・長崎に続く福島原発の事故。

放射能被害と言う点では同じですものね…。
経済繁栄のために走り続けた事に対して、ここでじっくりと反省し考えないといけませんね。
不便になっても、私も安全が最優先だと思います。

>震災で無くなった多くの方をはじめいまだに復旧もかなわず
>生活のめども立たない被災者の方たちに寄り添って
>あの3.11を教訓にするべきでしょう。
>そのことが敗戦から立ち上がり復興を遂げた私たちの
>いまやらなければならないことでしょう。
>戦争も愚かなことですが地震大国日本では原発依存は
>どう考えても愚かなことにしか思えません。

仰せの通りだと思います、同感です。
大阪にも福島などから移住した人達がいらっしゃいますが、同じ被災地でも地域によって差のある事を言われていますね。そういう事も含め、出来る事はしていこうとボランティアや脱原発集会にも参加していますが、中々声が届かない事も感じています。
このサイトにも東北や近隣県の元気なお方がいらっしゃいますので、そういう方々が具体的な情報を流して皆様に呼び掛けて頂きたいと思っていますが…関心のあるなしは人其々ですからそれも難しいようですね…。何事も少人数では歩みが遅くなる苛立ちも感じています。
2014.03.19 17:24 ルルさん | 返信

ルルさん
こんばんは

この大空襲ですが東北の地方都市にも爆弾投下があったと聞きましたが東京や大阪のような大空襲ではなかったようです。
記憶の中に防空壕があったのを覚えている程度で戦争体験はしておりませんから実感がありません。

現在の日本は平和憲法の下で繁栄を築いた地球上唯一の自由国家です。
また原爆投下による被爆国でもあります。

勝てば官軍と言いますが戦争の愚かさを知って不戦を誓い戦後見事に復興した国でもあります。
争いは人間の醜さの極致。
暴力や武力で脅し続けることの愚かさを言い続けなければあの戦争で無くなった命は何のためだったのでしょうか。

その国が戦争にも匹敵する愚かなことをしてしまいました。
人間の知力では計り知れない自然の猛威による被爆・・・広島・長崎に続く福島原発の事故。

経済繁栄のためには犠牲者を出しても原発は必要といいますがその論理には大きな誤りがあります。
自分が生きるためには他人を犠牲にしても良いという考えに通じるものがあります。

原発事故が二度と起こらない確証はありません。事故再発の恐怖から脱しようとする意志があれば変革は可能なことです。

震災で無くなった多くの方をはじめいまだに復旧もかなわず生活のめども立たない被災者の方たちに寄り添ってあの3.11を教訓にするべきでしょう。
そのことが敗戦から立ち上がり復興を遂げた私たちのいまやらなければならないことでしょう。
戦争も愚かなことですが地震大国日本では原発依存はどう考えても愚かなことにしか思えません。
2014.03.18 13:22 山野泉歩さん | 返信

★ぶーさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>母が出張で長崎行きになったものの満員の汽車に乗れず、
>翌日のにしようと決めたその日が原爆投下日でした。
>一日の差で生かされた話を何度も聞きました。

そういうお方も少なくないですね…運命なのでしょうか。
夫側の義兄は広島の人なのですが、同じように1日違いで岡山に居て原爆をのがれました。しかし2日後から、爆心地近くで身内や友人を探し歩いた為に被爆し、原爆手帳を持っていたものの後年癌でなくなりました。

>生前、もう戦争の話は聞きたくないと言っていた言葉が
>悲惨さを物語っています。
>聞きたくなくても、話し出したら止まりませんでした(笑)

お母様のお気持ち、分かるような気がします。
あまりに恐ろしい事だったので避けたい反面、
ぶーさまや子供達には伝えたかったのかも知れませんね。
その役割を、今度は私達がやる番だと思っております。
2014.03.18 12:22 ルルさん | 返信

★kawayanさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>アメリカは、焼夷弾・原爆・機銃掃射
>一般人を殺戮するための武器と戦略で
>多数の日本の一般市民を殺戮しました。

一般人の虐殺は本当にひどいですよね。
仰せのように、勝てば官軍負ければ賊軍で、
道理も何もありませんものね。

>もしアメリカが負けていたら
>どれだけの責任を負い、処罰されたことでしょう。

そして韓国や中国以上の補償を要求してきたでしょうね。
それに、もしかしたら第三次大戦があったかも?
ある意味、大人しい日本が負けて良かったのかも知れませんね。

当時2歳のkawayanさまをおぶって戦火の中を逃げられ、そして戦後、家も何もない中でお育てになられたお母様のご苦労は、本当に大変だったでしょうね…。防空壕に逃げるのは却って危険だったと言う話は、私も聞いた事があります。
そのお母様が亡くなられてもう40年ですか…今もkawayanさまのお心には気丈なお母様が生きていらっしゃるでしょうね。

貴重なお話をありがとうございました。
2014.03.18 11:58 ルルさん | 返信

母が出張で長崎行きになったものの満員の汽車に乗れず、翌日のにしようと決めたその日が原爆投下日でした。
一日の差で生かされた話を何度も聞きました。
機銃掃射を会社の机に隠れながら見たことも。

生前、もう戦争の話は聞きたくないと言っていた言葉が悲惨さを物語っています。
聞きたくなくても、話し出したら止まりませんでした(笑)
2014.03.17 22:58 ぶーさん | 返信

勝てば官軍。

アメリカは、焼夷弾・原爆・機銃掃射
一般人を殺戮するための武器と戦略で
多数の日本の一般市民を殺戮しました。

もしアメリカが負けていたら
どれだけの責任を負い、処罰されたことでしょう。

当時我家は神戸市の山手の住宅街にありましたが、
家の前が銭湯で、煙突が工場に思えたのか
焼夷弾による空襲があり、
銭湯の周囲一帯が焼きつくされてしまいました。

当時2歳だった私は母親におんぶされて
大きな墓地に逃げこんだと母親から聞きました。
銭湯には地下壕が有ったようですが
今日は危ないから入らないで!と言われました。

逃げる途中の橋の下に母親は入ろうとしたようで
他の人から、ここも危ない!と言われ
空襲後そこを通ると、橋は焼け落ち
銭湯の防空壕も焼け落ちていたようです。
当然、銭湯の前の我家も跡形なしでした。

それぞれの避難地点で妥協していたら
私の命もなかった!と思います。
住む家も無くなった中、よくぞ育ててくれたと思います。
その母親は痴呆症で約40年前に他界しました。
2014.03.16 21:46 kawayanさん | 返信

★にゃあさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>NHK「東京が戦場になった日」を見終ったところです。
>もう二度とこんなことがあってはならないと思うばかりです。

私も見たかったのですが…今日はこのブログに書いております「ワインと朗読の会」の本番日で、朗読した後皆様と夜まで会場に居ました。ビデオを撮っても見る時間がありませんので、最近は余程の事が無い限り撮っていません(+_+)

>大阪大空襲で借金だけが残って生まれ故郷の徳島に引き上げ
>てきた祖父母と父たち兄弟5人。跡継ぎとして長男の父だけ
>が残り あとの兄弟姉妹は成長してみな大阪に戻って行きま
>した。大阪との縁は切れなかったようです。
>父のはなし言葉は母や近所の人たちと違ってて 
>大阪なまりが長いこと残っていました。
>父は今も健在ですが 戦争が始まる前の楽しかった大阪での
>日々の話はよくしてくれたけど 錆びて曲がった釘まで大
>事に持って帰ってきたひきあげの頃の話はしてくれません。

そうだったのですか…
貴重なお話をありがとうございます。
69年経った今でも封印された事があるのですね。
お父様のご苦労やお悲しみをお察しいたします。

仰せのように…今はドラマやドキュメントや本などでしか戦争の悲惨さ愚かしさを学ぶ機会がなくなりつつありますよね…。

>ルルさんのなされてることに大きな意義を感じます。
>よろしくおねがいします。

街の片隅でほんの微力でお恥ずかしい事ですが、
ライフワークの1つとして続けていきたいと思っています。
こちらこそ、よろしくお願い申し上げますm(__)m
2014.03.15 16:21 ルルさん | 返信

★包丁3本さま
こんばんは~ 再度ありがとうございます

本当に~、連続の大幅下落ですよね…
プロの包丁3本さまでもこの下げは想定外だったのですか、
今後の相場が心配になってきますよね…。

DI(4310)見ると、社名は聞いた事がありますが、
内容はあまり知らないです。PFに入れて見させて頂きますね。
DLEの大株主なのですか、それは楽しみですね~♪^^
ここのIPOにも参加しましたがダメでした。
 
>ルル姫様 IPO2銘柄 ゲットおめでとうございます

おおきに~です^^
日立マクセルに参加されてダメだったのですか。
では100株でも当たっただけ良しとしなくちゃ、ね。

>私 IPO5連敗 当たらないな~(ノω・、)

私もIPOはどれも参加していますが、中々当たりませんよね。
お互いの健闘を祈り合いましょう~(^^)/
2014.03.15 16:02 ルルさん | 返信

★モルダウさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>戦いではなく、平和の勝利を!本当の勝利を得る
>には個の(ルルさん)行動から生まれますよね
>ここブログなどでも話題になされて私も微弱なが
>らお蔭さまで再認識いたしました。ありがとうございます。

稚拙なブログですのに…小さな怒りを理解して下さったり、
再認識を感じて下さったり…こちらこそありがとうございます。

憲法第9条、本当にその通りだと思います。
現在これを巡って怪しい雰囲気がありますが…
69年間平和が続いているのは日本の誇りですよね。

>大坂は選ばれし都市だと思っています。
>悪魔の原爆”の模擬原子爆弾投下地でもありますし!

模擬原爆の事をよくご存知ですね、びっくりしました!
大阪市民でも知らないお方が少なくありませんのに。
はい、広島投下の前の7月26日、大阪市住吉区に原爆投下の実地練習として模擬原爆投下がありました。この時に死者を含め1645人の被害が出たそうで、「模擬原子爆弾投下跡地の碑」で毎年慰霊祭が行われていますね。

>地球上で唯一原爆被害を!
>日本、世界の反戦のリーダーとして真実の勝利
>勝ち取る日まで後世に受け引き継がれていって欲しいです。
>心の底から応援しています。。

心強い応援に感謝します、と共に、
身の引き締まる思いがしました、ありがとうございます。

仰せのように、人間だけじゃ無く動物たちも犠牲になりますし、悲しい出来事を風化させてはいけませんよね。

最後に書いて下さったお言葉は…
私のような者には身に余り、勿体ないですぅ…^^;汗、、
そのお言葉に少しでも近づけるよう、
日々精進していきたいと思います。
2014.03.15 15:30 ルルさん | 返信

NHK「東京が戦場になった日」を見終ったところです。もう二度とこんなことがあってはならないと思うばかりです。

大阪大空襲で借金だけが残って生まれ故郷の徳島に引き上げてきた祖父母と父たち兄弟5人。跡継ぎとして長男の父だけが残り あとの兄弟姉妹は成長してみな大阪に戻って行きました。大阪との縁は切れなかったようです。
父のはなし言葉は母や近所の人たちと違ってて 大阪なまりが長いこと残っていました。
父は今も健在ですが 戦争が始まる前の楽しかった大阪での日々の話はよくしてくれたけど 錆びて曲がった釘まで大事に持って帰ってきたひきあげの頃の話はしてくれません。

ドラマやドキュメントや本などでしか戦争の悲惨さ愚かしさを学ぶ機会がなくなりつつあります。
ルルさんのなされてることに大きな意義を感じます。よろしくおねがいします。
2014.03.15 12:22 | 返信

おは~
昨日は 久しぶりの大きな下げで心配になりました

予定としては 400安が底で 
最終的には 300安で終わると思っていたので相場の弱さを感じました

私の注目株 DI(4310)161100 持ち株8株 
昨日下げたので 151100に6株ナンピンしました 

3/26に上場するディーエル・イーの大株主なので ひょっとして・・・・とおもってますが 

もう少し下げたら 6株を予定してます

短期勝負で 損覚悟で追ってみます

ルル姫様 IPO2銘柄 ゲットおめでとうございます

日立マクセルは 参加したのですがダメでした

証券会社に力がないと 中々取れません 流石ですね

私も上場日楽しみにしてます

私 IPO5連敗 当たらないな~(ノω・、)





2014.03.14 19:45 包丁3本さん | 返信

今晩は~ 

私たちにできること、、
ルル様、静かに怒っていますね
そして理性という明るく輝く灯火を消さないようにと

戦いではなく、平和の勝利を!本当の勝利を得る
には個の(ルルさん)行動から生まれますよね
ここブログなどでも話題になされて私も微弱なが
らお蔭さまで再認識いたしました。ありがとうございます。

人間の多様性 やっかいな問題ですね。
私は日本人として世界に誇れるものがあります!
”日本国憲法第9条”です。
~正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する~~等々
他国も我が国のこの法を用いればと思っています。

大坂は選ばれし都市だと思っています。
悪魔の原爆”の模擬原子爆弾投下地でもありますし!地球上で唯一原爆被害を!
日本、世界の反戦のリーダーとして真実の勝利
勝ち取る日まで後世に受け引き継がれていって欲しいです。心の底から応援しています。。

人間だけじゃ無く動物たちも犠牲になりいたたまれません!悲しい出来事忘れ風化させぬ努力が必要ですね、、長文になりましたが最後に
すさんだ世にもけなげに咲く花のようなルル 様













2014.03.14 16:02 | 返信

★ちゃんさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>3日遅れのアクセスになり失礼しました。

3日遅れの便りをのせて~という歌がありましたね♪
いえいえ、月に1本ペースですから、
その月中なら遅れた事になりませんよ(^^)

>戦争を語る朗読会参加など、
>前向き行動に何時もながら感心しています。

勝手にやっているだけの事ですので恐縮ですが…
お優しいお言葉を頂き感謝です。

>ちゃんはその時小学3年生でした。
>戦争時の報道が統制されいいかげんであったこと。
>焼夷弾の花火は(表現は適切でないですが)
>どんな・何処で開催される花火大会より・・。
>その焼夷弾に追われながら、亡き母が弟を背中に、兄がリヤ
>カーを引き、ちゃんも疎開先の家にと逃げた思い出が蘇ります。

そうだったのですか…貴重なお話をありがとうございます。
お母様も大変な思いをされたのでしょうね…。
遠くの焼夷弾は大きな花火のようだったとの事、
母も同じことを申しておりました。

仰せのように、戦争も、東日本・阪神の大震災も、
風化させる事のないようにしないといけませんね。

>ちゃんも早いうちにこのような機会に出合いたいものです。

以前お近くまで参りましたのに失礼しました。
それもあって、私も早い実現を願っています(^^)/
2014.03.14 14:50 ルルさん | 返信

ルルさん3日遅れのアクセスになり失礼しました。
戦争を語る朗読会参加など、前向き行動に何時もながら感心しています。

ルルさんは、お若いですから。ちゃんはその時小学3年生でした。
戦争時の報道が統制されいいかげんであったこと。焼夷弾の花火は(表現は適切でないですが)どんな・何処で開催される花火大会より・・。
その焼夷弾に追われながら、亡き母が弟を背中に、兄がリヤカーを引き、ちゃんも疎開先の家にと逃げた思い出が蘇ります。

今の生活に浸かりきっていることを反省する機会に。
これは3年経過した東日本震災についても、阪神淡路も同じですね。

風化させない努力を続ける意味の大きさ。

最後にUPの皆様のカットお見事。

ちゃんも早いうちにこのような機会に出合いたいものです。

<お越し下さいましたブログのお友達と、ミニオフ会の嬉しいひと時を持たせて頂きました♪ >  おやすみなさい!!
2014.03.13 13:45 ちゃんさん | 返信

★麻布十兵衛さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>ルル姐さん 今度は、空襲の話ですか!
>話題の豊富さに感服しております。

いえいえ、下手な鉄砲しか持っていませんので、
アチコチに数ばかり撃っているのだけですわ(笑)

>先々代から住んでいる麻布地区も東京大空襲で焼け野原にな
>ったのですが、父は兵役、母は実家に帰っていたとのこと。
>直ぐ近くの三田地区は焼けなかったのは、その地区に
>オーストラリア大使館があったからとのことで、
>どうも無差別な爆撃ではなかったようです。

そうだったのですか、
お父様もお母様もご無事で良かったですね。
でも其々のご苦労は大変だった事とお察しいたします。

仰せのように、アメリカは都合の良い所は攻撃していませんよね。関西では京都がそうです。
昔、お茶屋のお母さんに聞いたのですが、祇園辺りは戦後米軍の人達でいっぱいだったとの事。「アメリカさんは自分達が舞妓や芸子と遊ぶ為に残したんです。慰安婦みたいなもんや、ひどい話どっしゃろ」と仰っていました。
2014.03.13 13:43 ルルさん | 返信

★霧笛さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>私は多くの皆さんと同じ、
>戦争は二度と起こしてほしくないと思ってます。
>私の長兄も戦死してますから尚更です、
>だから戦争映画は極力見ません。

そうだったのですか、お辛かったでしょうね…。
ご体験者の中にも、戦争関連の物は見ないと仰るお方や「あの時の事は辛すぎて話せない」と仰るお方が少なくありません。でもご自分の寿命が見えてくると、「やはり後世に残して欲しい」とボツボツ語られます。其々の違いはあっても、60年以上も口を閉ざす程の酷くて強烈な思い出だったのでしょうね。

>でも、人間は愚かな動物、今の世界は軍事力により意思決定
>がされてます、国連はそれを止める力がない、隣国もいつ
>攻め込んでくるかわからない、こういう世界情勢の中で、
>軍備反対だけ言ってていいのかなという疑問もあります。

仰せの通り、今も世界では毎日、何人もの人達が戦争やテロで殺戮されてますね…。そしてその抑制力の為に、日本も軍備が必要だとも思いますが…それがエスカレートすると逆に怖いですのでその線引きも難しいですよね…。

>この大空襲、全て日本だけがいけなかったんでしょうか、
>だから無差別でも、原爆投下しても許される、なんか
>戦勝国の一方的な論理のように思えてしかたがありません。

仰せの通りだと思います。
戦争とは言え、これはルールを無視した大虐殺ですよね。
韓国や中国がいまだに日本を非難するのなら、
私達もアメリカを非難してもいいと思っています。
現に「空襲訴訟」が大阪高裁まで行っていますが、
どのマスコミもそれを取り上げていません、
上で何らかの力が働いているのだと思います。

>お写真見ました、ルルさん相変わらず若く素敵ですね^^

あは、、霧笛さまもお世辞がお上手ですわ^^ でもそう仰って頂くと前向きになれます、おおきに~!(*^_^*)
2014.03.13 13:24 ルルさん | 返信

★キャベツさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>東京大空襲の時私は3歳で猛火の中を
>母親に背負われ防空頭巾で身を守って逃げまどいました。
>警防団の方の誘導で神田川に降りて助かりました。
>四方火の海になっている柳橋交差点(現在の都庁が立って
>いる近くです)の光景が今でもフラッシュバックします。

3歳の頃でも覚えていらっしゃるのですか。
今でもフラッシュバックとは、
やはり強烈な事として残っていらっしゃるのですね。
このお話をお聞きしても、
如何に酷かったが理解できるような気がします。

>ルルさんが戦争の現実の姿を語り部として戦争を知らない人
>たちに伝えるボランティアをされることは敬服に値します。

いえいえ、敬服なんてとんでもありません^^;汗
何かに突き動かされ心の儘にやっている事ですので、
勿体ないお言葉に恐縮です、ありがとうございます。

>私には空襲の犠牲になられた方々の慰霊堂にお参りして
>非戦を心に誓うしか出来ませんが
>このブログに接して思いを新たにしました。

弊ブログなんて稚拙でお恥ずかしい物ですが…
そんな行動やお気持ちがキャベツさまらしいですね。
少しでも追いつくよう精進していきたいと思います。
2014.03.13 12:42 ルルさん | 返信

★宙(sora)さま
こんばんは~ いつもありがとうございます
その後お母様は如何でしょうか?

>「焦土となった御堂筋周辺」の写真に衝撃を受けました。
>長いこと大阪にいながら、この時の写真をみたことがなくて。
>貴重な写真のアップをありがとうございます。

こちらこそ、ご覧頂きありがとうございます。
3月の大空襲は船場からミナミ方面が全滅して、
梅田やキタ方面は投下爆弾が少なったようです。
全て焼けたので大阪駅から高島屋が直で見えたそうです。

>ミニオフ会でのお写真も素敵です♪
>ルルさま含め皆様の明るい笑顔に 
>見ている私も元気づけられます(#^.^#)

おおきに~です(*^_^*)
宙さまも、又お時間が許せばいらして下さいね、
またお逢いしたいと思っております♪
2014.03.13 12:19 ルルさん | 返信

★五右衛門さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

五右衛門さまもご両親から、焼夷弾の事や
ご体験談を聞かれていたのですね。
名古屋も酷い事だったとお察しいたします。

仰せの通り、空襲の時には水辺に逃げたお方が多かったそうですね。それで助かったお方もいる反面、却って命を落としたお方もいましたよね。大阪は水の都と言われ、当時も街の中心を縦横に川が流れていましたが、それらの川は何処も死体がいっぱい浮いていたそうです。

>母親はこの世を去ってから10年以上経ちますが、
>プロペラ機のブルンブルンという音を聞くと、
>B29を思い出して怖いと言っていたことを思い出しました。

やはりそうですか…
それだけ恐ろしいご体験だったのでしょうね。

>私は、親として子どもに伝えることぐらいしかできません
>が、ルルさんは大勢の方にいろんなことを伝えていらっしゃ
>るのですね。頑張ってください。応援しています(^-^)/

ありがとうございます。
ほんの微力ではございますが…
お言葉に沿えるよう、何とか頑張って行きたいと思います^^
2014.03.13 12:09 ルルさん | 返信

★薔薇の名前さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

仰せのように、戦争を知らない私達には
身体に沁み付く体験という物がありませんものね。

>昨日、テレビで77歳の女性が
>東京大空襲の経験者が少なくなってきているので、
>語り継がなければならないと言っていました。

そのテレビは見ていませんでしたが、今後益々、
ご体験者が高齢または亡くなられて行きますので、
それは大切な事だと思いますよね。

>おかげ様で空襲の経験をしなくても良かったのだから
>せめて、理解をするようにしたいと思います。

そうですよね、同感です。
私もたくさん学び理解していきたいと思います。

>ルルさんのこのようなブログを読ませていただくことに
>より、少し立ち止まって考えてみることが出来ます。
>ありがとうございます。

そういう感じ方をしていただき、
こちらこそ感謝です、ありがとうございます。
2014.03.12 15:56 ルルさん | 返信

★風藤 瞬さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>焼夷弾が降ってくる時は、独特の音がするらしいですね。
>あの悲惨な情景には、胸がつまります。

そうですよね…。
焼夷弾の落下音は、ご体験者にお聞きした所、
激しい雨に似てザーッと言う大きな音だったそうです。

>ところで、ルルさんのジーンズ姿、素敵ですね。
>前回のブログでも思いましたが、改めて、そう思います。

あは、、お恥ずかしい限りですが…おおきに~です^^
毎日こんな普段着で、街中を自転車で走っています(笑)
2014.03.12 15:31 ルルさん | 返信

★乾さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>戦争は悲惨な物ですね。占いでは、冲、と言って
>どちらも傷付き得るものが無いとします。

占いでもそうなのですか。
仰せのように、勝っても負けても代償が大きく、
大きな傷跡しか残りませんよね。

静岡にも回天の出撃基地があったのですか。
だいぶ前に回天の実大復元を見ましたが、
あの狭くて不自由な姿勢のままの体当たりですから、
人の命がどれだけ軽んじられたかが分かりますよね…。

>しかしこれを風化させない声が有る限り
>悲劇の舞台に移行する抑止力には為りますね

そう言う風になればいいですね。
世界の何処でもそういう声が続く事を願っています。
2014.03.12 15:12 ルルさん | 返信

★包丁3本さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>いつもご活躍嬉しく思います

そのお言葉が嬉しいです、謝謝~^^

>死んだ親父が よく戦争の話を聞かせてくれました 
>聞いたのは 小学生のころまでで 中学以上は 
>また始まったと 聞く耳を持たなかったものです

貴重なお父様のお話も思春期の男の子には鬱陶しい、
父と息子ってそういうものでしょうね。
でも今のお幸せをお父様に感謝していらっしゃるのですから、
お父様も天国で喜んでいらっしゃるでしょうね。

>まだ 世界では争い事をやってる国がありますが 
>早く平和になってほしいと 祈るばかりです

同感です。
美しい地球を戦火で汚してはいけませんよね。

話変わって…昨日久し振りにIPOを取れました^^
日立マクセルとジャパンディスプレイです。
2014.03.12 14:54 ルルさん | 返信

★えじまさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>小さな島へも機関銃の掃射があり
>訳も解からぬまま 怖いと 思っていました。
>終戦数年たっても 本能的に 
>飛行機の爆音を聞くと
>物陰に隠れていましたね、

瀬戸内海の島にも機銃掃射があったのですね。
終戦後も飛行機の爆音で隠れる習慣が抜けないとは…
子供心にも強烈なご体験だったのでしょうね…。
貴重なお話をありがとうございます。

>その節は お世話に成りました。

いえいえ、こちらこそ、
楽しいひと時をおおきに~でした(*^_^*)
2014.03.12 14:34 ルルさん | 返信

★拳太郎さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>勝てば官軍、負ければ賊軍。
>いつの時代も争いごとに正義はありませんね。

そうですよね、同感です。
それを当時は教育で正義と決めていたのですから、そして
皆それを信じたのですから、恐ろしい時代でしたね…。

>人それぞれに家族・家庭・生活がありました。そんな慎まし
>く生活をしている国民を巻き込んだ先の世界大戦・・・誰もど
>この国も反省しているようで反省などしていない現実。時代の
>変わり目に必ず起きる戦。人類は懲りない生き物ですね。
>その人間が「万物の霊長?」ですと!誰が決めたのですか?

仰せの通り、人類は、懲りない・学習しない、ですね。
また一時的に反省してもすぐ忘れる愚かさ…
拳太郎さまのお言葉を世界の指導者達に聞いて欲しいです。
人間の尊厳はどこに行ったのでしょうね?
2014.03.12 14:14 ルルさん | 返信

★おか ひろみさま
2回に渡ってお書き下さりありがとうございます

目標の重要性、よく分かります。
仰せのように、神戸は国内の造船の集積地帯でしたものね(今もそうですね)。
そして日本で六番目の大都市でもあり、鉄道の結合点でもあり…当時のアメリカが潰したくなるのは当然だったでしょうね。
野坂昭如さんや妹尾河童さんも神戸空襲の事を書いていらっしゃいますね。どれも読みましたし、「ホタルの墓」や「少年H」も観ています。
2014.03.12 13:49 ルルさん | 返信

★おか ひろみさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

ひろみさまも神戸空襲をアップのご予定だったのですね。
お書き下さった資料、じっくり読ませて頂きました。
本当に酷い事でしたね…。
阪神大震災の焼け跡を見て、西宮で被災した叔父が呆然としながら「50年前の空襲の跡と一緒の光景や…」と言ったのを覚えています。
ご体験者にはいつまでも忘れられない光景だったのでしょうね。
ご主人様のトラウマも身につまされます。
人其々、色々なトラウマをお持ちだったのでしょうね…。
貴重なお話をありがとうございました。
2014.03.12 13:39 ルルさん | 返信

ルル姐さん 今度は、空襲の話ですか!話題の豊富さに感服しております。先々代から住んでいる麻布地区も東京大空襲で焼け野原になったのですが、父は兵役、母は実家に帰っていたとのこと。直ぐ近くの三田地区は焼けなかったのは、その地区にオーストラリア大使館があったからとのことで、どうも無差別な爆撃ではなかったようです。
2014.03.12 12:35 麻布十兵衛さん | 返信

ルルさん、こんにちは~

私は多くの皆さんと同じ、戦争は二度と起こしてほしくないと思ってます。
私の長兄も戦死してますから尚更です、だから戦争映画は極力見ません。

でも、人間は愚かな動物、今の世界は軍事力により意思決定がされてます、国連はそれを止める力がない、隣国もいつ攻め込んでくるかわからない、こういう世界情勢の中で、軍備反対だけ言ってていいのかなという疑問もあります。

現に、世界では毎日、何人もの人達が戦争・テロという形で殺戮されてますから複雑です。

マレーシアは軍事力は劣ってますけど、国境付近では独自の検問所を設けて目を光らせてます、こういう点、日本は島国ですけど甘いなという気がします。

この大空襲、全て日本だけがいけなかったんでしょうか、だから無差別でも、原爆投下しても許される、なんか戦勝国の一方的な論理のように思えてしかたがありません。

お写真見ました、ルルさん相変わらず若く素敵ですね^^
2014.03.12 06:10 | 返信

東京大空襲の時私は3歳で猛火の中を母親に背負われ防空頭巾で身を守って逃げまどいました。
警防団の方の誘導で神田川に降りて助かりました。四方火の海になっている柳橋交差点(現在の都庁が立っている近くです)の光景が今でもフラッシュバックします。

人間に欲望がある限り戦争はなくならないでしょう。
しかし戦争のない理想の世界に向かって私たちは常に何かをしなければなりません。

ルルさんが戦争の現実の姿を語り部として戦争を知らない人たちに伝えるボランティアをされることは敬服に値します。

私には空襲の犠牲になられた方々の慰霊堂にお参りして非戦を心に誓うしか出来ませんがこのブログに接して思いを新たにしました。
2014.03.12 02:14 | 返信

こんにちは。
お久しぶりです。

「焦土となった御堂筋周辺」の写真に衝撃を受けました。
長いこと大阪にいながら、この時の写真をみたことがなくて。
貴重な写真のアップをありがとうございます。

ミニオフ会でのお写真も素敵です♪
ルルさま含め皆様の明るい笑顔に 見ている私も元気づけられます(#^.^#)
2014.03.12 01:06 宙(sora)さん | 返信

ルルさん

私の両親は戦時中名古屋に住んでおりまして、特に母親は空襲をまとに体験したようです。
焼夷弾の話は、私が子供の頃はよく聞かされたものです。空襲の時には川原に逃げていて、自分の周りに焼夷弾がいっぱい降ってきて、幸い川原だったので足元がぬかるんでおり、焼夷弾はスポッ、スポッと川原に突き刺さって不発に終わったため助かったと言っていました。
ところが、運命とは紙一重のもので、川の中へ逃げ込んだ人は、火のついた焼夷弾の油が水面に広がり、全身大やけどをして亡くなった方も多いとのことでした。
母親はこの世を去ってから10年以上経ちますが、プロペラ機のブルンブルンという音を聞くと、B29を思い出して怖いと言っていたことを思い出しました。
今は平和な世の中ですが、忘れてはならないこと、伝えていかなければならないことは、戦争や震災や、その他にもいっぱいあると思います。
私は、親として子どもに伝えることぐらいしかできませんが、ルルさんは大勢の方にいろんなことを伝えていらっしゃるのですね。頑張ってください。応援しています(^-^)/
2014.03.11 21:29 五右衛門さん | 返信

★Mapleさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

仰せのように、私達戦後生まれには戦争の記憶は全くありませんが、スラム街など戦後の副産物?の記憶は僅かながらもありますよね。

>なぜ、戦争が繰り返されるのか?
>人間が、同じ人間を殺し合う!
>鬼畜の仕業という言葉がありますが、
>戦争の本質は、
>人間が本来持っている魔性に起因するのでしょう。

そうかも知れませんね…
仰るように、お互いの違いを認め合う事が出来ないのでしょうね。国同士でなく身近な世間でも、それが喧嘩や苛めの一因になる事があるくらいですものね…。

>核弾頭が何万発と存在しているこの星。
>人間の誰かが、核のボタンを押さない!とは
>言い切れない危ういこの地球。
>人類が滅びない限り、戦争はなくならない!
>としたら、人間ほどバカな動物はいませんね。

本当にそうですよね…
世界のどこかでいつも争いが絶えませんもの。
人間の愚かさを考えさせられますね…。
2014.03.11 16:19 ルルさん | 返信

★ponjoiさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>戦争の悲惨さを伝承していく活動には畏敬の念をいだきます。
>是非これからも続けてください。

畏敬の念なんてとんでもありません、
勿体ないお言葉に恐縮しています…。
はい、ほんの微力ではありますが…
出来るだけ続けていきたいと思います。

>戦争の悲惨さと併せて、何故、戦争が起こったのかをも
>正確に伝えてくださることを期待します。

お書き下さった満州事変の事や東京裁判の事は、
ponjoiさまのご意見に賛同いたします。
また盧溝橋事件に付いても中国軍の陰謀説が強いですよね。

しかし朗読は庶民の立場、戦火の中の母親の立場でやっていますので、そのような場で私のような物知らずが、そういう事まで語る事は相応しくないですし荷が重過ぎます。
それは又、別の集会などで
皆様方と共に意見交換をしていきたいと思います。

長文のお手数に感謝いたします、
ご教示とご助言をありがとうございました。
2014.03.11 15:35 ルルさん | 返信

★湘南ジョガーさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

仰せのように、私たちは戦争を知らない大人ですが、
親などから戦争の話を聞き、街頭で傷痍軍人さんの姿を見て育ちましたよね。

>でも、今の子たちは平和しか知らない子です。
>私たちが戦争がイヤで、そんな悲惨なことを話さないと、
>永遠に子たちは戦争のことを聞くこともありません。

その通りだと思います。
大切な事が年々忘れられていくように感じますね…。

>自分が知らないことを、子たちに話すことは困難です。
>戦争を知っている人と力を合わせ、
>こうした話を伝える催しが大事です。
>ルルさんの努力に協賛します。

ありがとうございます。
ほんの微力ではありますが…
お言葉を励みに一層精進したいと思います。
2014.03.11 14:57 ルルさん | 返信

★イノイチボスさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>今日が東京大空襲の日だったのですね。
>そして明日が、東北大震災から3年目ですね。

そうですね、
悲しい事の多い3月になりましたね…。

>父も母も戦争の事は一言も語ってくれませんでした。
>口にするのも嫌な想いしかなかったのだと思います。

分かります。
ご体験者の中にもそういうお方が少なくありません。
それだけお辛い思い出だったのでしょうね…。

>やすこさんの絵とのコラボ聞いています。
>我太郎さんの写真で絵も拝見しました。
>沙羅さんのブログでも拝見しました。
>柔らかなタッチの大作でした。
>いわさきちひろさんのような優しい絵ですね。

皆様のブログもご覧下さったのですね。
仰るように、やすこさまの絵は優しくて明るいです。
長年のお付き合いですので分かりますが、
お人柄が出ているのだと思います♪

>写真の中央にいらっしゃるのがやすこさんですね。
>で、写真のやすこさんとルルさんの間に
>いらっしゃるのが沙羅さんですね。
>我太郎さんはどちらでしょうか?
>そしてもう御一方は誰なのでしょう?

あらら、、質問責めですね~(笑)
仰せの通り、
女性は中央からやすこさま、沙羅さま、私で、
我太郎さまは左端で、やすこさまのお隣はえじまさまです。
2014.03.11 14:49 ルルさん | 返信

★リンさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>タイトルから、すぐに東京大空襲を思い浮かべました。

さすがですね、ありがとうございます。

>とは言うものの、身内に戦死者も空襲体験者も居ないし、
>学校の歴史授業では、沖縄の市街戦や東京大空襲の事など
>(大阪は尚更です)全然触れられず、
>戦争の事はあまり知らずに大人になってしまいました。

ご両親も空襲を体験されていないのですか?
信州方面は攻撃されなかったのですね。
学校の授業は仰せの通りですね。
明治時代を過ぎるとすぐに終わってしまいますよね。

>後世に語り継ぐ仕事は、大切な仕事ですね。ルルさんが忙し
>い合い間をぬって、ボランティアされている意義がよく
>理解できます。いつも応援していますよ。

ご理解と応援ありがとうございます。
街の片隅でごく微力ではありますが…
お言葉を励みに一層頑張りたいと思います^^
2014.03.11 14:31 ルルさん | 返信

★hamccoさま
わぁ~嬉しい!お久し振りです~!
相変わらずお若くてお元気なのでしょうね(*^_^*)

>お元気そうですね。
>それに、ブログの書き方も変わっていない(*゜▽゜*)

あはは、、何年経っても硬さが抜けない?
ブログって何処かに地が出てしまいますよね。
元気ではありますが…年々年を感じてますぅぅ。

>初めてここで、お会いしてから、 何年でしょう?(笑)
>いつか、お会いしたいです。

う~ん、もう7年?8年?
月日の経つのは本当に速いですよね…^^;
私もお逢いしたいと思っています、
少しでも機会があったら連絡し合いましょうね(^^)/
2014.03.11 14:17 ルルさん | 返信

★チョコラッテさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>伯母(父の姉)は大阪に住んでいて大空襲で焼け出され
>一家が丸裸状態で戻ってきたようです。

そうだったのですか…大変だったでしょうね。
当時大阪市内中心部は全滅でしたが、
高槻方面はまだましだったのかもしれませんね。

>国民も教育さえも国に牛耳られ歪められ、
>徐々に徐々に戦争への道を歩んでいったことが悔やまれます。
>現在もそう安心な状態ではないように思い、
>戦争への危険性に敏感でいたいと思います。

仰せの通りですね。
決してあの頃に戻らないよう、
私も社会をちゃんと見詰めていきたいと思います。
2014.03.11 14:02 ルルさん | 返信

★杏さま
こんばんは~ いつもありがとうございます
久し振りのブログアップ嬉しかったです^^

>私は戦後生まれですが
>母も父も兄弟を戦争で何人も亡くしています。

そうだったのですか、
ご両親もお辛かったでしょうね…。
仰せのように、戦争のない時代に生まれた平和を大切に、そして二度と戦争を起こさないようにしなければなりませんよね。

>これから頑張ってください~
>(私はそんなルルさんに毛糸の帽子くらいしか編めませんが・・)

ご声援ありがとうございます。
先日パーマがかかり過ぎて髪が纏まりませんので、
現在、それを落ち着かせる為に帽子を手放せませんのよ(笑)
2014.03.11 13:53 ルルさん | 返信

★Takezoさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>戦中生まれですが、生身で見聞きした事は
>記憶にありません

お小さかったら記憶には残らないでしょうね。
お母様も4人のお子達で大変だった事でしょう…
隣組制度はその意味でも今より絆が強かったですね。

>明らかな非戦闘員への無差別攻撃に
>敗戦国だからと異議を唱えることすら出来ないまま
>逆に「戦勝国」から祖国のために闘った
>人たちを「戦犯」として裁かれてしまいました
>ましてや、弔いと二度と戦いを起こさない祈念としての
>靖国への参拝すら
>内政干渉され、外向的な遠慮さえ
>強いられています

仰せの通りですね、賛同いたします。
親世代の様々な犠牲の上に今の平和があるのですから、
後進達がそれを敬い参拝する事に、
他国があれこれ干渉するのはおかしいですよね。
どこの国でもしている事ですのに…。
また戦犯と言う呼び方もそれに級付けをするのも、
アメリカ側が勝手に付けた事ですものね。

>ルルねぇの朗読者としての、語り部としての
>伝承により戦争の悲惨さを知らしめて
>平和国家をよりいっそう築いて行きたいものですね

少しでもそういうふうになれば嬉しいですが…
微力ですのでどこまで出来ますやら…^^;汗、、
2014.03.11 13:44 ルルさん | 返信

こんばんは。

B29は、聞いたこともありますし、映画とかテレビでも見たことがあります。
が、戦争を知らない私は、どこかよそ事のようなところが、ありました。

昨日、テレビで77歳の女性が東京大空襲の経験者が少なくなってきているので、語り継がなければならないと言っていました。

おかげ様で空襲の経験をしなくても良かったのだからせめて、理解をするようにしたいと思います。

ルルさんのされていることは、立派だと思います。

ルルさんのこのようなブログを読ませていただくことにより、少し立ち止まって考えてみることが出来ます。

ありがとうございます。
2014.03.11 13:34 薔薇の名前さん | 返信

焼夷弾が降ってくる時は、独特の音がするらしいですね。
あの悲惨な情景には、胸がつまります。

ところで、ルルさんのジーンズ姿、素敵ですね。前回のブログでも思いましたが、改めて、そう思います。

2014.03.11 13:26 風藤 瞬さん | 返信

★チョコミーさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>3月は「春」がそこまでやってきて、
>ついつい浮かれがちな季節ではありますが、
>その空襲、そしてこのたびの東日本大震災など・・・
>つらい体験をされた方々が多いわけですから、
>本当は悲しい季節なんですね。

そうですね…
時代は違っても同じ3月に大きな事が起こっていますね。
ご体験者のお辛さは消える事はないと思いますから
仰せのように、
私達も一度立ち止まって足元を見直す月かもしれませんね。
3月は卒業の月でもありますから、
心の総括をするのも意義があるかもしれませんね。
2014.03.11 13:15 ルルさん | 返信

ルルさんこんばんわ

戦争は悲惨な物ですね。占いでは、冲、と言ってどちらも傷付き得るものが無いとします。

勝った方も負けた方も大きな代償を払う事に為り残るのは大きな傷跡だけでしょう。

それも一人の指導者の決断に寄って悲劇の舞台へと移行して仕舞う、そこには国民の声は届きません、何時の時代にも同じでしょうか。

しかしこれを風化させない声が有る限り
悲劇の舞台に移行する抑止力には為りますね

過去を振り返りますと、戦いの無かった世紀があったでしょうか、しかしこれからの戦いは人類の破滅をもたらす事に繋がる事を、

指導者には是非認識して欲しいですね。

静岡にも人間魚雷、回天の出撃基地が有ったと聞いています、今もあちこちに爪跡は残っていますね。
2014.03.11 11:55 | 返信

コンチです

いつもご活躍嬉しく思います

死んだ親父が よく戦争の話を聞かせてくれました 聞いたのは 小学生のころまでで 中学以上は また始まったと 聞く耳を持たなかったものです

でも 今 こうして幸せにいられるのは 親父や戦友のおかげだと 思ってます

まだ 世界では争い事をやってる国がありますが 早く平和になってほしいと 祈るばかりです





2014.03.11 10:26 包丁3本さん | 返信

子供の頃
 色々 有りました、
 空襲警報 発令や解除!とか、
 山の森へ避難、
 終戦数年たっても 本能的に 
  飛行機の爆音を聞くと
  物陰に隠れていましたね、
  
 小さな島へも機関銃の掃射があり
訳も解からぬまま 怖いと 思っていました。

   その節は お世話に成りました。
2014.03.11 08:39 えじまさん | 返信

★麟太郎さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

はい、B29による無差別絨毯爆撃から69年目ですね。

>先日、朝ドラの「ごちそうさん」で大阪大空襲の場面があっ
>て、今もドラマに廃墟になった市街地のシーンがありま
>すが、惨憺たる状況に、言葉もないです。

そうですか…。
ごちそうさんを見ていませんでしたが、
皆様も仰っていますので出来るだけ見たいと思います。
大阪大空襲では市内の中心部が狙われましたので、
人は勿論歴史的な建造物も多く失いました。

>戦争については、色々なことを考えますが、その一つは、
>もう戦争に負けると多くの人たちが考えていたのに、御前
>会議に出席する政治家・軍人の中で、誰一人積極的に、
>降伏ということに取り組まなかった結果、ずるずると終戦が
>先送りされ、大都市への無差別爆撃から、原爆投下まで、
>多くの市民の命を犠牲にすることになった、
>そう考えると、やりきれないですね。

そうですね…
いつも犠牲になるのは何も知らない庶民ですもの、
本当にやりきれないですよね。
2014.03.10 18:12 ルルさん | 返信

★やうちさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

はい、もう69年目ですね。

>私は直接空襲にはあって居ませんが 隣接の街が焼夷弾で
>真っ赤な炎と化した光景を今もって脳裏に残っています。

それだけでもご体験者のお話は臨場感がありますね。
当時は7、8歳の子どもでいらしたのですか。

夢ブログで太平洋戦争の事を書いていらした事、
よく覚えていますよ。興味深いブログでしたもの。
いろはのはの字を忘れてボケなんて合いませんよ、
やはりここは、は抜きのイロでなくちゃ^^

お謡いの会、如何でしたか?
宜しければ又ブログにお書きくださいね♪
2014.03.10 17:56 ルルさん | 返信

★ありりんさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>3月10日の東京大空襲の話は子供の頃,母から聞かされてい
>ましたが,私自身は自分の子供には話したことがないと気づきました。

分かります。私も自分の子供に面と向かって話しませんでした、体験していない事は言い難いですものね。
なので小説や映画などがあれば家族で一緒に読んだり観たり意見交換したり、関西は勿論広島や長崎の資料館に行ったり、実家の両親から体験談を聞かせたりしました。又ご体験者から聞いた話を書き纏めた時に、まず娘の前で語って、聞き易いかどうかをチェックして貰いますので、彼女もかなり詳しくなっています。

>こういう話は伝えてゆくべきものだと思います。
>ルルさんは機会あるごとに朗読という素晴らしい活動をされ
>てますね。近かったら是非,お聞きしたいところです。

ありがとうございます。
もしご来阪の機会がございましたら、
ありりんさまお1人の前でも語らせて頂きますよ(^^)/
2014.03.10 17:41 ルルさん | 返信

★シオンさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

そうですね…もうあの終戦の年から69年も経ちますね。

>戦争を知らない世代が7割弱の時代になって
>ルルさまが語り部となってくださるのはとて
>もありがたいことです。敬服いたしております。

敬服なんてとんでもありませんよ~。
微力な自分に出来る事をやっているだけですから^^;汗
誰にでも出来る事ですので、シニアコムの方々も身近な人々に聞いたり伝えたりして頂けたら嬉しいです。

『ガラスのうさぎ』、私も読みました、悲しいですね。
娘達は小学校の時に読み、色々質問されたのですが私には実態が分からず…実家の両親から話して貰いました。何十年も経っているのに実体験はすごいと思いました。その頃に継承の必要性を感じた次第です。

>戦争の風化は政治にも現れていますね。
>子供たちの将来がとても心配です。

仰せの通りですよね、
これからどうなるか…私も心配です…。
2014.03.10 17:16 ルルさん | 返信

★我太郎さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

コメント欄に朗読会の画像を張り付けて下さり、
ありがとうございます。お手数をお掛けしました。

大阪大空襲は、今回少し付け加えましたが、
豊中でやったのとほぼ同じです。
蜘蛛の糸は、芥川の本そのままですので、
先日の大阪市立美術館での朗読と全く同じです。

3月30日(日)の事は、またメールさせて頂きますね^^
2014.03.10 16:55 ルルさん | 返信

★チュウコウさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>またしても大活躍のブログUP貴重な実話凄いです。

いえいえ、ダラダラと綴っているだけのことで…
お優しいお言葉に恐縮です。
仰せのように、半世紀以上経っても
惨禍の心の傷は癒されないでしょうね。

>ひたすら世界の平和祈ります。

本当にそうですよね。戦争は絶対に嫌ですね。

>(過日は失礼しました、お詫び申し上げます。)

仕方ない事ですもの、お気遣いなさらないでくださいね。
それよりもその後如何でしょうか?
気になっています。
2014.03.10 16:49 ルルさん | 返信

★風太郎さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>69年目の3月か
>題名が良いな  題名から彷彿させる

題名で彷彿されるのは、
それだけ大きな思い出でいらっしゃるからでしょうね。

>東京の連中は3月の無差別爆撃は忘れないな。
>深く心に刻み込んでいる。

そうでしょうね。
私も早乙女勝元さんの本で3月10日の東京大空襲の実態を知りました。

学童疎開をされたのですね。
疎開先で苛められた事もおありだったのですか。
大阪でも疎開はあったと聞いています。
はやり都会の子は苛めにあったようですね。

>東京には、隅田川がある。川に逃げたもので
>死体の山になったとか。大阪には川はあるかな

はい、大阪も長堀川、横堀川、道頓堀川は死体がいっぱい浮いていたそうです。

>もっとも櫻の樹の下には死体が埋まっている。
>これは信じて良いことだと
>梶井基次郎が言ったが、今じゃ隅田川べりに
>は美しい桜が成長している。

桜の季節になると梶井基次郎を思い出しますよね。
家から歩いてすぐのお寺に彼のお墓がありますので、
時々行って、レモンをお供えしています。
2014.03.10 16:37 ルルさん | 返信

★とっちゃんぼうやさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

「ごちそうさん」は殆ど見ていないのですが…空襲の時にヒロインが地下鉄に逃げ込んで命拾いしたのですか。
はい、芦原橋の平和集会にお越し下さった時の朗読と似た場面ですね。私は地下鉄心斎橋駅に逃げる母を語りました。

>「ニヒト メーア ドレスデン」は
>「ノーモア 広島」のドイツ語版といったところでしょうか。

そうでしたか、ドレスデンの空襲は知りませんでしたが、
そんなにひどかったのですね。当時のドイツに付いては
ヒットラーとナチスのイメージしかなくて…汗、、
そう言えば日独伊三国同盟のお仲間でしたね。 
アメリカは「紙と木でできた日本の家」と「石造のドイツの家」それぞれに適した爆弾を開発したのですか。日本とは戦力が違い過ぎましたね

>法には全くの素人だけど「民間人を標的」は国際法で禁じら
>れている(いた)のに、先日来のロシアのクリミア侵攻とい
>い、アメリカのかつての無差別な空襲といい国際法って
>一体何なの?と改めて問うてみたいものですね。

そうですよね。
私も法律は分かりませんが…民間人を標的にするのは納得できませんよね。最近各地で空襲犠牲者訴訟が起こっていますが、それも関係あるのかな?
2014.03.10 16:12 ルルさん | 返信

★宵待ち草さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>ルルさんの活動に感動いたします。
>各自で出来るだけのことは精一杯に努めたいものです。
>シニアの役割と感じております。

そうですよね、私も役割と感じてやっています。
宵待ち草さまも院内学級の子供達に心を寄せていらっしゃいますので、思いを共有させて頂けると思いました。
仰せのように、日本が危うい状態に向っている気配も感じますよね…。

>くれぐれも御身大切にご活躍くださいませ
>陰ながら応援いたしております。

お気遣いと応援ありがとうございます。
お言葉を頂き、ライフワークの1つとして、
口が動く内は続けていきたいと思っております。
2014.03.10 15:42 ルルさん | 返信

★菊さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>疎開していた頃、沼津市に昭和20年1月9日の
>最初の空襲から計8回の空襲があったそうですが、
>畑で布団をかぶっていた隙間から見た空いっぱいに、
>大きな飛行機が低空飛行していました。
>サイレンが鳴ったら、
>盲目の祖母を畑の穴に連れて行く役です。 怖かった〜。

読ませて頂くうちに映像が浮かんできました。
ドラマの一部のようなお話ですが、
それが実体験ですので一層の説得力がありますね。

>平和ボケと言われようが、
>アメリカの手先になって外国を攻撃するような、
>戦争の道は許せません。

仰せの通りですね、同感です。
あれから69年間続いた平和を、
自国他国ともに守らなくてはいけませんよね。
2014.03.10 15:23 ルルさん | 返信

★chuuchichiさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

ご体験はなくてもご両親から聞いていらっしゃるのですね。
浜松も軍事工場がありましたから爆撃もすごかったようですね。

>先日もJRの浜松工場から見つかった艦砲射撃の砲弾の爆破
>処理の為国道1号線や処理をする海岸までのルートになる
>住民を一時避難させるなど大変な騒ぎでした。

そうだったのですか、大変でしたね。
今もまだそういう話を聞きますよね。
大阪でも去年、戦時中の不発弾処理が行われました。

>悲惨な戦争というものを繰り返さないためにも戦争を知ら
>ない世代に悲惨さを伝えていくことは大事なことですね

そうですよね。
私など街の片隅の微力な活動ではありますが…
それでも少しでも伝えていきたいと思っています。
2014.03.10 15:12 ルルさん | 返信

★haraさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>父から聞いた戦争の話!子供心に覚えています。でも,
>現在の子どもたちは,戦争は,外国の話だと思っています。

私達世代は、当時の大人達は何らかの形で戦争を体験していましたよね。でも今の子供達は私達の孫世代に当たりますから話す人も無く、段々風化していくのですね。

>伝承活動は,戦争経験のない,ルルさんにとっても
>難しいこともあると思いますが,頑張ってください。

ありがとうございます。
心強いharaさまのお言葉に一層頑張ろうと思いました。
仰せのように、天災は避けようがありませんが、
人災は皆で努力すれば何とか避けられると思います。
2014.03.10 14:55 ルルさん | 返信

勝てば官軍、負ければ賊軍。
いつの時代も争いごとに正義はありませんね。

戦時中は沢山の人を殺せば英雄。
戦後は人を殺したら殺人犯。
これ何がどう違うのでしょうか?

人それぞれに家族・家庭・生活がありました。そんな慎ましく生活をしている国民を巻き込んだ先の世界大戦・・・誰もどこの国も反省しているようで反省などしていない現実。時代の変わり目に必ず起きる戦。人類は懲りない生き物ですね。その人間が「万物の霊長?」ですと!誰が決めたのですか?

全世界の変わらぬ平和を望みます。
2014.03.10 14:54 | 返信

★沙羅さま
こんばんは~ いつもありがとうございます
また先日は楽しい時をありがとうございました(^^)

>今も中近東で内戦が起きていますね。
>アメリカとロシアが冷戦?
>日本が巻き込まれないか心配です。

そうですよね。
家族間でも、心配でウクライナの話をしています。
何とか上手く解決して欲しいですよね…。
イラクやアフガンでも今も多くの子供達が不発弾や劣化ウラン弾の犠牲で障害や癌になっています。国連も手の及ばない場所ですので何の支援も無し。僅かながら医療品や毛布を送っているのですが…追いつかない状態です。

朝鮮動乱やベトナム戦争の傷もまだ癒えない人々が多いでしょうね。戦争は本当に罪ですね。
2014.03.10 14:41 ルルさん | 返信

b.目標の重要性
神戸は、人口100万人を有する日本で六番目の大都市。日本の最大の港であり輸送の拠点である。
神戸の造船所は、日本国内最大の造船と船舶用エンジンの集積地帯である。
下関からの幹線鉄道である山陽本線と大阪や東京へ向かう幹線鉄道である東海道本線との結合点が神戸にある。
神戸を通過する唯一の良好な道路である国道が神戸の人口密集した業務地区を通過している。
これらの重要な輸送施設により、神戸では鉄鋼、鉄道車両、機械、ゴム、兵器といった基幹産業の工場が密接に結合している。
2014.03.10 14:27 | 返信

リトルルル様
良い企画をありがとうございます。3月17日にアップする構想で資料を集めましたが、主人の体験談では輻射熱から身を守るために、折り重なるご遺体の下に潜り込み顔を血の海に浸して生き残ったそうです。後遺症のトラウマで血肉に弱くなり初夜で私の秘部を目にし悪寒に襲われてメドゥーサの首の眼を見たように石地蔵様になり2大本能の性欲を失った程でアップには耐えられません。資料をご参考までに。神戸とその周辺地域は1945年(昭和20年)1月3日から終戦までの約8ヶ月間に、大小合わせて128回の空襲を受け、特に3月17日および6月5日の市街地絨毯爆撃と、川西航空機甲南工場を標的とした5月11日の戦略爆撃によって大きな被害を受けました。被害状況に関する公式記録は存在せず、具体的な数字ははっきりしていませんが、被害面積は神戸周辺都市部の21%に及び、少なくとも8841名の市民が犠牲となり、15万人といわれる負傷者、焼失家屋15万戸、のべ65万人もの人々が家屋に被害を受けたといわれています。これは人口および面積から換算した被害率としては、当時の五大都市の中でも最悪の数字だったそうです。
公開されている米軍側の空襲作戦資料です。
作戦任務第43号
1,日付:1945年3月16日
3,目標:神戸市街地
5,出撃爆撃機数:331機
6,第1目標爆撃機数の割合:
    93%(第1目標307機)(注*)
7,第1目標上空時間:
    3月17日2時29分~4時52分
8,攻撃高度:5,000~9,500フィート
        (約1520 ~2900m)
10 ,損失機数:3機
11 ,作戦任務の概要:
 85,458,000平方フィート(約793万9308m2)を破壊した。文字数制限の為後半に続く

2014.03.10 14:26 | 返信

★恵比寿プレスリーさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>3月10日は東京空襲でしたか。
>3月11日は東日本大震災
>なにか因縁のようなものを感じます。

同じような時期に同じような悲しみが起こりましたね…。
そう言えば…戦災後の瓦礫も震災後の瓦礫も同じ光景ですね。
阪神大震災の焼け跡の写真は、戦後の神戸の写真と同じでビックリした事を覚えています。
2014.03.10 14:26 ルルさん | 返信

戦後生まれの私には、
戦争の記憶は当たり前ですが、全くありません!
唯一記憶にあるのが、
名古屋駅西口(当時は、駅裏と言ってました)のスラム街です。

なぜ、戦争が繰り返されるのか?
人間が、同じ人間を殺し合う!
鬼畜の仕業という言葉がありますが、
戦争の本質は、人間が本来持っている魔性に起因するのでしょう。

人間が、お互いの「違い」を認め合う!
こんな簡単な事が、なかなか出来ないのです。

宇宙ステーションでは、
日本人の若田さんが、船長になられたとか。
宇宙からのこの地球を見れば、どこにも国境はありません。

それなのに、あの国は、この国は・・・
対立をあおって、いがみ合っています。

核弾頭が何万発と存在しているこの星。
人間の誰かが、核のボタンを押さない!とは言い切れない危ういこの地球。
人類が滅びない限り、戦争はなくならない!としたら、人間ほどバカな動物はいませんね。

そんな事を考えさせられました。
2014.03.10 14:24 Mapleさん | 返信

★空さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>今、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」で
大阪大空襲がありました。
>記録映画やドラマを見ると胸が苦しくなります!
>戦争は二度とあってはいけません!

本当に、二度とあってはいけませんよね!
「ごちそうさん」は見たいと思いつつ…朝寝坊やら外出やらで月に1、2度くらいしか見ていません^^;
そうですか、大阪大空襲をやっていたのですね。
ドラマは目と耳に伝えられるのでいいですね。

>ルルさんの活動は地道で根気が居る事ですが
頑張って下さいね。
>陰ながら応援しています。

ありがとうございます。
空さまの応援を受け、一層精進したいと思います。

4月のご来阪、今から楽しみにしています(^^)/
2014.03.10 14:19 ルルさん | 返信

★東風さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>私は戦中生まれですので戦争の記憶はありませんが、
>4歳上の兄は戦火の中を逃げ惑った話をよくしていました。
>幼いながらも強烈な記憶だったからでしょう。

やはり忘れられない記憶なのでしょうね。
体験者のお話をお聞きしていても、物忘れが多い80代の方々が、その時の事だけは鮮明に覚えていらっしゃいますもの。

私も、小さい頃、両親と歩いた戎橋の上で傷痍軍人さんが募金箱を首から下げていらした姿を覚えています。

砲兵工廠跡の鉄骨拾いは、開高健ほか大阪の作家が何冊か書いていますね。私もそれで知って平野川や朝鮮人部落の事を調べた事があります。
今の大阪城公園やOBPの光景からは考えられない歴史ですよね。

>戦後築かれてきた平和を崩す事のないようにと願うばかりです。

仰せの通りですね、同感です。
平和ボケと言われようが、戦争は2度と繰り返してはいけないと思います。
2014.03.10 14:01 ルルさん | 返信

こんばんは!

戦争の悲惨さを伝承していく活動には畏敬の念をいだきます。
是非これからも続けてください。

それはそれとして、そんな悲惨な戦争が何故起こってしまったのかということも正確に伝えることが極めて大事です。

日本がすべて悪い、と云うのは連合国側の身勝手な主張です。

大東亜戦争へと繋がる満州事変を起こしたのは日本じゃないか、というような考え方も、このあたりでもう一度振り返ってみる必要があると思います。 日本軍が引き起こしたと云われている満州事変も、事変を起こさなければならかった状況が多数あったのです。
例えば、満州事変の前には一度に150人近くの日本女性が中国人により強姦されると云うような悲劇が起こっています。 それだけではありません。 ここでは字数に制限がありますから、それについては割愛しますが、何でもかんでも、日本が悪いと云うのはアメリカを筆頭とする連合国側のでっちあげでしかありません。 東京裁判でインドのパール判事が言いたかったのはその辺のことを含んでの日本無罪論だったのです。
東京裁判におけるパール判事以外の連合国側の裁判長を始めとする関係者(ウェッブやキーナン等)は、それこそ物見遊山のついでに東京裁判に参加していたような人々でしかなかったのです。

そんな東京裁判に参加していた連合国側の関係者には大東亜戦争の真の起因を突き止めるというような姿勢などまったく無かったのです。 と、いうことはつまり、東京裁判は連合国による日本へのリンチでしかなかったと言っても過言ではありません。
でも、多くの日本人は未だに東京裁判史観を信じ切っている。 悪かったのは日本だと、信じ切っている。 それはまったく愚かなことです。

永くなりました。
戦争の悲惨さと併せて、何故、戦争が起こったのかをも正確に伝えてくださることを期待します。
2014.03.10 13:46 ボ ン ジ ョ ビ ( 旧 ponjoi)さん | 返信

★散輪坊さま
こんばんは~ いつもありがとうございます

終戦時満州の新京にいらしたのですか。
帰国するにもご両親は大変だったでしょうね。

>2度と有って欲しくないことですね。若い人を
>戦場に送らないようにしていきたいです。

本当にそうですよね。
その為にも戦争という物の実態を伝えていかなければ…
と思っております。
2014.03.10 13:43 ルルさん | 返信

★hahahaさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

>太平洋戦争は本土がやられる前に何度も相手から休戦の話
>があったと聞きます。日本は頑として応じなかった。

そうでしたね。
これらの空襲の前にも米から停戦ビラが配られています。
色々な説がありますが…当時は軍部が強かったですもの、
つまらない意地の為に多くの人が犠牲になりましたよね…。

>敵は悪魔で日本は絶対負けない国で神風が吹くと信じてい
>たからでしょうね。僕も子供ながらそう思っていた 教育の恐ろしさです。

本当に教育は恐ろしいですね。
大阪の社会派作家である山崎豊子さんなども、
当時は完全な軍国少女で「鬼畜米英」を叫んでいたそうです。
仰せのように、現在の隣国や中近東の1部も
当時の日本と同じような感じですね。
2014.03.10 13:36 ルルさん | 返信

★もりりんさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

そうなのです。
東京大空襲の日に合わせてアップしました。

>私は戦後生まれですが、苦しみを強いられた、戦争のことを
>忘れず、世界平和を模索していかなければいけない…そう思いました。

仰せの通りですね。
今でも世界の中では戦火が絶えませんもの。
そしていつも一番苦しむのは何もしない庶民や子供達ですね。

>年を取ってきて、ほんの少し、社会に貢献したい
>という気持ちが心の隅にあります(^_^;)

嬉しいです。
いつかご一緒に出来るといいですね(^^)/
2014.03.10 13:22 ルルさん | 返信

★picoさま
こんばんは~ いつもありがとうございます

仰せのように、私達が物心ついた頃はまだ戦争の傷跡が残っていましたよね。
大阪の砲兵工廠跡も長年大爆撃を受けたまま放置されていました。そこが松下の開発でOBPの近代ビル群になり1996年に「大阪ビジネスパーク駅」が出来たのは隔世の感を禁じ得ないです。

>神宮の池へザリガニ取りに行くと焼夷弾が池底に埋まって
>いました。6角形の鉄の円筒で「鉄くず屋」さんが1本10円
>くらいで引き取ってくれたので友達と探したりしました。
>不発弾もあったと聞くので、危ない遊びを当時はやっていたのですね。

神宮も標的にされたのですか。
焼夷弾探しとは、危ない事をされていたのですね。
でも男の子ってそうですよね。何もなくて良かったです。

焼夷弾は仰る通り、グリセリンとガソリンで出来ていますから、木と紙の日本家屋はたまりませんよね。
2014.03.10 13:15 ルルさん | 返信

私たちは戦争を知らない大人です。

でも、親などから戦争の話は聞きました。
子どものころは、街頭で傷痍軍人さんがカンパを募っている姿を見て育ちました。

でも、今の子たちは平和しか知らない子です。
私たちが戦争がイヤで、そんな悲惨なことを話さないと、永遠に子たちは戦争のことを聞くこともありません。

自分が知らないことを、子たちに話すことは困難です。
戦争を知っている人と力を合わせ、こうした話を伝える催しが大事です。
ルルさんの努力に協賛します。
2014.03.10 12:54 湘南ジョガーさん | 返信

こんばんは。

今日が東京大空襲の日だったのですね。
そして明日が、東北大震災から3年目ですね。

父も母も戦争の事は一言も語ってくれませんでした。
口にするのも嫌な想いしかなかったのだと思います。

東北大震災・・・もう3年。まだ3年。
心からの復興を願うのみです。

やすこさんの絵とのコラボ聞いています。
写真の中央にいらっしゃるのがやすこさんですね。
我太郎さんの写真で絵も拝見しました。
沙羅さんのブログでも拝見しました。
柔らかなタッチの大作でした。
いわさきちひろさんのような優しい絵ですね。

で、写真のやすこさんとルルさんの間にいらっしゃるのが沙羅さんですね。
我太郎さんはどちらでしょうか?
そしてもう御一方は誰なのでしょう?
2014.03.10 12:53 ボス!さん | 返信

こんばんは!
タイトルから、すぐに東京大空襲を思い浮かべました。
とは言うものの、身内に戦死者も空襲体験者も居ないし、学校の歴史授業では、沖縄の市街戦や東京大空襲の事など(大阪は尚更です)全然触れられず、戦争の事はあまり知らずに大人になってしまいました。

後世に語り継ぐ仕事は、大切な仕事ですね。ルルさんが忙しい合い間をぬって、ボランティアされている意義がよく理解できます。いつも応援していますよ。
2014.03.10 11:27 リンさん | 返信

ルル さん

お元気そうですね。
それに、ブログの書き方も変わっていない(*゜▽゜*)

初めてここで、お会いしてから、 何年でしょう?(笑)
いつか、お会いしたいです。

2014.03.10 09:52 hamccoさん | 返信

伯母(父の姉)は大阪に住んでいて大空襲で焼け出され一家が丸裸状態で戻ってきたようです。
国民も教育さえも国に牛耳られ歪められ、徐々に徐々に戦争への道を歩んでいったことが悔やまれます。
現在もそう安心な状態ではないように思い、戦争への危険性に敏感でいたいと思います。
2014.03.10 09:46 メ~のおばちゃんさん | 返信

こんにちは。

毎朝観ているごちそうさんを思い出しました。
私は戦後生まれですが母も父も兄弟を戦争で何人も亡くしています。

戦争のない時代に生まれた平和を大切にそして二度と戦争を起こさないようにしなければなりませんね。

これから頑張ってください~
(私はそんなルルさんに毛糸の帽子くらいしか編めませんが・・)
2014.03.10 09:01 杏さん | 返信

戦中生まれですが、生身で見聞きした事は
記憶にありません

隣組の叔父さんに手を引かれたり
負ぶわれて防空壕まで走ったことを
何度も聴きました

母は手を引くには4人の子供達は
多すぎたからです

惨い空襲だったとも聴きました

明らかな非戦闘員への無差別攻撃に
敗戦国だからと異議を唱えることすら出来ないまま
逆に「戦勝国」から祖国のために闘った
人たちを「戦犯」として裁かれてしまいました

ましてや、弔いと二度と戦いを起こさない祈念としての靖国への参拝すら
内政干渉され、外向的な遠慮さえ
強いられています

今は国家として国を守る「軍隊」さえ
もてない足かせをはめられています

屈辱的な空襲を生き残った親世代のがんばりで
日本は平和国家として立ち直りました

ルルねぇの朗読者としての、語り部としての
伝承により戦争の悲惨さを知らしめて
平和国家をよりいっそう築いて行きたいものですね
2014.03.10 08:30 Takezoさん | 返信

空襲については体験された方がどんどんすくなくなり風化しつつあるんでしょうね。

3月は「春」がそこまでやってきて、
ついつい浮かれがちな季節ではありますが、
その空襲、そしてこのたびの東日本大震災など・・・
つらい体験をされた方々が多いわけですから、
本当は悲しい季節なんですね。

春を迎える前に、もう一度立ち止まって足元を見直してみる・・・ そんな3月なのかもしれませんね。
2014.03.10 07:51 チョコミーさん | 返信

こんにちは。

「69年目」というのは、「B29による無差別絨毯爆撃」があった年から、数えてという事ですか。

先日、朝ドラの「ごちそうさん」で大阪大空襲の場面があって、今もドラマに廃墟になった市街地のシーンがありますが、惨憺たる状況に、言葉もないです。

戦争については、色々なことを考えますが、その一つは、もう戦争に負けると多くの人たちが考えていたのに、御前会議に出席する政治家・軍人の中で、誰一人積極的に、降伏ということに取り組まなかった結果、ずるずると終戦が先送りされ、大都市への無差別爆撃から、原爆投下まで、多くの市民の命を犠牲にすることになった、そう考えると、やりきれないですね。
2014.03.10 07:39 麟太郎さん | 返信

日々ご活動のこと 誠にご苦労様です~

>69年目の3月・・・??でした。
そうか そうでしてたね。

今朝もNHKの「ごちそうさん」を観ていましたが 東京・大阪のあの日の大空襲のことが思い出せませんでした。(´;ω;`)

私は直接空襲にはあって居ませんが 隣接の街が焼夷弾で真っ赤な炎と化した光景を今もって脳裏に残っています。

当時は七つ八つで いろはの習いがけでした。

かってはここで 夢ブログで太平洋戦争を書いたことも有りますが 今となっては はの字忘れてボケばかり~で情けない次第です。

益々のご活躍を!
2014.03.10 07:35 やうちさん | 返信

こんにちは。

3月10日の東京大空襲の話は子供の頃,母から聞かされていましたが,私自身は自分の子供には話したことがないと気づきました。

こういう話は伝えてゆくべきものだと思います。ルルさんは機会あるごとに朗読という素晴らしい活動をされてますね。近かったら是非,お聞きしたいところです。
2014.03.10 07:26 | 返信

ルルさま こんにちは、もうあの終戦の年から69年も経つのですね、

>体験者が減っていき年々風化していく戦争
の実態を、 同世代~次世代へと継承して行く
使命感を感じております>

戦争を知らない世代が7割弱の時代になってルルさまが語り部となってくださるのはとてもありがたいことです。敬服いたしております。

『ガラスのうさぎ』は高木敏子さんによるノンフィクション文学で、作者自身の経験を元に執筆され、戦争で家族を失った少女を描いていますね。戦争の風化は政治にも現れていますね。
子供たちの将来がとても心配です。
2014.03.10 07:25 | 返信

大阪大空襲は豊中で拝聴させて頂いた内容と同じでしょうか?
蜘蛛の糸は先日の大阪市立美術館での朗読と同じ内容でしょうね?
浮気者ゆえ1度聞けばで同じ内容ならパスです
3月30日(日)は興味有りです

朗読会の様子をブログにアップの予定でしたが、あれこれ忙しすぎて暇がありません
予定の中の画像1枚張り付けさせて頂きます


2014.03.10 05:56 我太郎さん | 返信


 またしても大活躍のブログUP貴重な実
話凄いです。

半世紀以上経っても惨禍の心の傷は癒され
ることはないでしょうね。

ひたすら世界の平和祈ります。

(過日は失礼しました、お詫び申し上げます。)
2014.03.10 04:28 チュウコウさん | 返信

69年目の3月か

題名が良いな
題名から彷彿させる

3月10日の東京大空襲は良く知られている
東京じゃ、早乙女勝元さんが、広く知られている。確かホテル暮らしのような事を聞いたことがある。

3月10日に東京、そして名古屋、大阪がその後空襲にあった事は知らなかった。

もっとも、大江健三郎の飼育だったかな
アメリカ空軍は地方でも爆撃していたが、編隊を組んで、無差別攻撃したのは、3月からかな

東京の連中は3月の無差別爆撃は忘れないな。深く心に刻み込んでいる。

東京じゃ疎開があったんだな。東京じゃ、明日の命が分からないから、縁故を頼って、または学童疎開した。

そうだな東京出だから学力も雲泥の差、言葉も違うで、苛められた事もあったが、

意外と疎開地に住み着いてしまった者もいるんだな

大阪の事情は疎いが、大阪にも疎開はあったのかな

もっとも谷崎潤一郎などは岡山に疎開したがの

まあ、無差別爆撃される方は、たまったものでないな

東京には、隅田川がある。川に逃げたもので死体の山になったとか。大阪には川はあるかな

もっとも櫻の樹の下には死体が埋まっている。これは信じて良いことだと
梶井基次郎が言ったが、今じゃ隅田川べりには美しい桜が成長している。

2014.03.10 03:57 風太郎さん | 返信

おひさしぶり~ 
 
最近NHKの朝ドラ「ごちそうさん」をたまに観てるけど、10日ほど前はこの空襲の場面だったはず。

ヒロインの咄嗟の判断で地下鉄に逃げ込んで命拾いしたのは、何年か前、芦原橋の貴女の朗読の通りやね。(´・ω・`)/~~A

わが国では広島・長崎の被爆に隠れて東京や名古屋そして大阪などの大都市の空襲は”影が薄い”けど、ドイツでは原爆投下こそなかったものの”見せしめの象徴として”ドレスデンの空襲はすごかった(((( ;゚Д゚)))ガクガクブルブルらしいですね。

「ニヒト メーア ドレスデン」は「ノーモア 広島」のドイツ語版といったところでしょうか。 

それはともかくアメリカでは「紙と木でできた家」の日本と石造の家のドイツとを空襲するのに、それぞれ適した爆弾を開発したのは知られるようになりましたね。

法には全くの素人だけど「民間人を標的」は国際法で禁じられている(いた)のに、先日来のロシアのクリミア侵攻といい、アメリカのかつての無差別な空襲といい国際法って一体何なの?と改めて問うてみたいものですね。
2014.03.10 03:01 | 返信


戦争の悲劇は語りつくせない程のものと思いますが、確かな記録として子孫に伝えたいと思います。ルルさんの活動に感動いたします。
各自で出来るだけのことは精一杯に努めたいものです。シニアの役割と感じております。
危うい状態に向っている気配ですから尚更です。
くれぐれも御身大切にご活躍くださいませ
陰ながら応援いたしております。
2014.03.10 02:30 宵待ち草さん | 返信

疎開していた頃、沼津市に昭和20年1月9日の 最初の空襲から計8回の空襲があったそうですが、畑で布団をかぶっていた隙間から見た空いっぱいに、大きな飛行機が低空飛行していました。
サイレンが鳴ったら、盲目の祖母を畑の穴に連れて行く役です。
怖かった〜。
平和ボケと言われようが、
アメリカの手先になって外国を攻撃するような、戦争の道は許せません。
2014.03.10 02:01 菊さん | 返信

私も戦後生まれで戦争の実体験はありませんが親などから聞いた話では艦砲射撃の弾が空を覆い尽くすように飛んでいく姿や焼夷弾がバラバラと落ちてきた話を聞いています。
先日もJRの浜松工場から見つかった艦砲射撃の砲弾の爆破処理の為国道1号線や処理をする海岸までのルートになる住民を一時避難させるなど大変な騒ぎでした。
悲惨な戦争というものを繰り返さないためにも戦争を知らない世代に悲惨さを伝えていくことは大事なことですね。
2014.03.10 01:52 chuuchichiさん | 返信


父から聞いた戦争の話!子供心に覚えています。でも,現在の子どもたちは,戦争は,外国の話だと思っています。伝承活動は,戦争経験のない,ルルさんにとっても難しいこともあると思いますが,頑張ってください。

天災は,どうしようもありませんが,人災は,避けれるものなら避けたいですね。

2014.03.10 00:19 | 返信

ルルさま おはようございます。

私は 戦中派ですが 空襲の経験はありません 
数々の映画 テレビでその惨状は理解しております。
今も中近東で内戦が起きていますね。
アメリカとロシアが冷戦?
日本が巻き込まれないか心配です。

戦後間もなくの朝鮮動乱や
ベトナム戦争を思い出します。
2014.03.10 00:11 沙羅さん | 返信

3月10日は東京空襲でしたか。
3月11日は東日本大震災
なにか因縁のようなものを感じます。
2014.03.09 23:40 恵比寿プレスリーさん | 返信

おはようございます。

私も戦争を知らないのですが姉たちによく
戦時中の話を聞いています。

今、NHKの朝ドラ「ごちそうさん」で
大阪大空襲がありました。
記録映画やドラマを見ると胸が苦しくなります!
戦争は二度とあってはいけません!

ルルさんの活動は地道で根気が居る事ですが
頑張って下さいね。
陰ながら応援しています。

ミニオフ会楽しかったでしょうね。
4月を楽しみにしています。
2014.03.09 22:21 空さん | 返信

おはようございます。

私は戦中生まれですので戦争の記憶はありませんが、4歳上の兄は戦火の中を逃げ惑った話をよくしていました。
幼いながらも強烈な記憶だったからでしょう。

戦後、小さいながらも母から頻繁に聞かされていたB29と言う飛行機名を覚え、よく空を見上げていた事を覚えています。
街を歩けば傷痍軍人さんの姿もよく見かけました。

今の大阪城公園は綺麗になっていますが、昭1960年代は未だ焼け野原のままで爆撃を受けて鉄骨むき出しの建物が彼方此方に残っており、朝鮮の人たちが鉄骨拾いのためか京橋辺りにはバラック小屋が沢山建っていた光景は今でも私の記憶に残っています。

戦後築かれてきた平和を崩す事のないようにと願うばかりです。
2014.03.09 21:02 | 返信

 戦中生まれですが、終戦時満州の新京にいました。
内地の惨状については小さいこともあり、
記憶にはないです。
2度と有って欲しくないことですね。若い人を
戦場に送らないようにしていきたいです。
2014.03.09 20:47 散輪坊さん | 返信

空襲を体験してる歳です。
太平洋戦争は本土がやられる前に何度も相手から休戦の話があったと聞きます。日本は頑として応じなかった。
敵は悪魔で日本は絶対負けない国で神風が吹くと信じていたからでしょうね。僕も子供ながらそう思っていた(>_<) 教育の恐ろしさです。

今隣国は似たような教育をしてますね。
自分達の平和と繁栄のために戦うというのが世界の常識???

2014.03.09 19:06 hahahaさん | 返信

こんばんは、

ブログを拝見して思い出しました。
今日、3月10日は東京大空襲の日でしたね。
私は戦後生まれですが、苦しみを強いられた、戦争のことを忘れず、世界平和を模索していかなければいけない…そう思いました。

今の世の中、自分たちのことだけを考えてる…

『そんなのきれいごとだよ』と言われても、きれい事を求めることを理念に掲げないと、平和を求めることはできませんから。。。

年を取ってきて、ほんの少し、社会に貢献したいという気持ちが心の隅にあります(^_^;)
2014.03.09 18:20 もりりんさん | 返信

私は戦後生まれですが、もの心ついた頃にはまだ戦争の傷跡が残っていたのを覚えています。街のはずれに爆撃で破壊された工場跡があり遊び場になっていました。神宮の池へザリガニ取りに行くと焼夷弾が池底に埋まっていました。6角形の鉄の円筒で「鉄くず屋」さんが1本10円くらいで引き取ってくれたので友達と探したりしました。不発弾もあったと聞くので、危ない遊びを当時はやっていたのですね。

焼夷弾は米軍が日本家屋を破壊するのに最も効率的で安価な爆弾として開発されました。木と紙でできている日本家屋は焼き払うのが一番いいわけです。

2014.03.09 18:12 picoさん | 返信

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