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錯太郎
福岡県 /  男性
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竹、竹、竹が生え。

光る地面に竹が生え。

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2019.12.01 20:44

天命とは佛なり

自分に、贅沢品など一切要らない。
ただ、本だけあればよい。
できれば、それにプラスして、莨と珈琲も欲しい。
更に欲張れば、酒と肴も欲しい。
しかし、基本的には、読むべき本さえあれば満足する。
本なんて、ブックオフで、110円で買える。

それで、今読んでる本が、ブックオフで偶然見つけて、
110円で買った、ネルケ無方「日本人に『宗教』は要らない」である。
それを読んで、自分の思想は決して間違ってはいない、と、
大いに心を強くした。

それを中途まで読んで、ふと気が付いた。
自分の考えてる「天命」と道元禅師の考えてる「佛」とは
ほぼ同じではないか、ということに。

例えば、本書65頁。

上記以外にも、『正法眼蔵』には「生死の中にあれば生死なし」
ではじまる話がある。簡単に言えば、
「生死の、何から何までがであり、だから生死というものはない。
 大きな流れに自分の身を任せてすべて一切、
 天地いっぱいとひとつになり、
生も死もひっくるめたものが
という教えだ


この部分の「仏」を「天命」に置き換えてみる。
すると、

「生死の中に天命あれば生死なし」

「生死の、何から何までが天命であり、だから生死というものはない。
 大きな流れに自分の身を任せてすべて一切、
 天地いっぱいひとつになり、
生も死もひっくるめたものが天命

とパラフレーズ出来るが、それはその儘、
自分の「天命思想」そのものである。

更に更に読み進めると、同書76頁に、

浄土真宗大谷派の僧侶である曽我量深の言葉に、
如来は我なりされど我は如来に非ず」がある。

とある。
この言葉も、

天命は我なりされど我は天命に非ず」

とパラフレーズ出来る。

まあ、兎も角、自分の思想にますます自信を深めていったという次第。
「我が意を得たり」というべきか。

詮ずるところ、儒・佛・道の三教は、帰一するのではないか。
その三教に限らず、あらゆる宗教は、結局は、一に帰するのではないか。
つまり「万教帰一」のヴィジョンを持っている。
しかし、それを証するには、多大なる学識が必要である。

今後とも、勇猛精進せよ。
日記カテゴリ
コメント数(2)
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コメント一覧
> picoさん

こんちはっす!

「天」と言い「佛」と言い「神」と言うも、
その本体は、仮の主語たる「es」であり、つまり「無」であります。

欧米では、自律できてる人々が、もろびとこぞりて、
キリスト教にしがみついておりますぞ。

ネルケ無方に依れば、日本人に宗教は要らない理由は、
生活の中に深く、神道や佛教の教えが根付いているからです。
欧米のキリスト教は、信じるだけで、頭だけです。
しかし、日本人は、特に何も信じてなくても、その何気ない動作に、
深い宗教性が見られるのです。
それが、日本人に宗教は要らない理由であるらしい。
2019.12.02 12:52 錯太郎さん | 返信

天=仏で神ではない。

宗教は自律できない人が規範としてすがる存在。

「日本人に『宗教』は要らない」理由は日本人は宗教にすがらなくても自律心を元々持っている民族だからでしょう。それは村社会民族だからです。
2019.12.02 09:58 picoさん | 返信

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