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錯太郎
福岡県 /
男性
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竹、竹、竹が生え。
光る地面に竹が生え。

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- 2020.12.29 20:24
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8月に、満55歳となり、
いよいよ歳末の今となって、
やっと、自分に命あること、
いま此処に、こうして生きていられることが、
心底、有難いと思うようになった。
生まれてから、長年の間、
自分は自分の生を怨んでいた。
何で、こんな苦しいばかりの世の中に生まれたのか、
何で、こんな生を生きていかねばならないのか、
そこから脱出する道はないか、
とばかり考えていた。
しかし、自殺は何度も思い、実行して未遂もしたが、
遂に、死ぬに死にきれなかった。
何で、生きてゆかねばならないのか?
生きても苦しいだけなのに。
いつも、そう思っていた。
しかし、もう、10年以上前に、父親が死んで、
今年の10月に、やっとのことで母親がくたばって、
生まれてよりの、長きに亙る重圧から、
やっと、開放された。
母親がくたばって初めて、
いま此処に、こうして生きてあることが如何に有難いか、
仮初にも、命を与えられたことが如何に忝いか、
と、沁みじみ思うようになった。
親に対する感謝の念は、これっぽっちも無い。
特に、母親は、いつも早く死んでしまえと念じていた。
その長年の重石から開放されて、
やっとのことで、遅ればせながら、
こうして、生を与えられたことは、実に有難いなあ、
と、沁みじみ感ぜざるを得ない。
親に対する感謝の念は、今も皆無だ。
ただ、こうして、現世に生きてあることは、
実に甘美である、と思う。
お釈迦さまも、亡くなる前に、こう仰ったらしい。
人生は甘美だ。
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